老いるという事



昨夜、父が突然39度台の高熱を出し病院へ。3時間ほどかけて点滴をし、家に戻りましたのは夜中の12時近く。15年ほど前に手術をして一つ取ってしまい、残る一つでずっと頑張ってまいりました腎臓の機能が低下しているとか。明日、再度診察を受け、検査の結果によっては入院となるようです。
再び、父と一緒に暮らすようになりまして1年半ほど。年を重ねる事は素敵なこと、などと申しましてもやはり、老いる、という事は辛いことのようです。物を良く知っている人であっただけに、思い出せない事の多さに自分で愕然とする。ぼけたと思われたくなくて、話をしなくなる。身体が思うように動かなくなり、不甲斐のなさから怒りっぽくなる。
昨夜も病院へは私が運転する車で向かったのですが、途中、信号待ちの交差点で道を訊ねると、突然後部座席のドアを開けてしまいびっくり。「うわ、危ない、閉めて。どうしてこんな所で?」と訊ねると「ちょっと前を見て道を確認しようと思った」と。高熱で朦朧としていた事もあるのでしょうが、この事だけではなく、普段の生活でも判断力の低下が頻繁に見受けられます。
今夜は「人工透析で生き続けるぐらいだったら、酒を飲みまくってさっさとあの世へ行くぞ」などと申しておりましたが、まあそんな事を言わずに出来るだけ長生きして下さい。実際に父の年齢になってみなくては、本当にその生きるという事の大変さを理解する事はできないとは思いますが、まだまだ、と申しましょうか、いつまでも、家族は貴方を必要としているのですから。



マロン・サンデー