3月22日(木)むくみ



この日は腹痛も吐き気も治まり、昨日よりは快調。いつもの測定諸々の他、午前中に、腹部と胸部のレントゲン。
主治医のI先生から病状についての詳しい説明が。最初の血液検査の時、通常42〜127であるべきアミラーゼという消化酵素の数値が、4071もあったのだそうです。が、その数値もこの日までに順調に1691まで下がってきているとのこと。よかった。
そして、先生はグラスを持った手をくいくいと動かすしぐさをしながら、「こんな数値悪い人、めったにいないから。いい?禁酒ね、禁酒」。その目には、3%の(また飲んでしまうのではないか)という疑いと、2%の(そうなると再発してしまう)という危惧が含まれているように感じられまして。
数値はよくなってきたとの話でしたが、この頃から顔や手に強い浮腫みが出始めます。炎症を起こした膵臓や血管からしみ出してしまった水分が体内に溜まってしまうからとのこと。膵臓の周りにもいっぱいお水がしみ出てきているのだそうな、恐ろしや。これがきっと腹水というものなのね。(覆水盆に反らず、腹水は…膵に返らず?うーん、今ひとつね)などと、相変わらずのん気なことを考えておりましたが、この状態の時に大量に点滴をしないと、体は水浸しの状態にも係わらず、脱水症状を起こしてしまうのだそうです。ひたすら、点滴、点滴、点滴、トイレ、点滴、点滴、点滴、トイレ、の一日。


絶飲食2日め



この日は体調がよかったこともあり、食事ができないことが辛く感じるように。点滴のおかげで、喉の渇きや空腹感というのはまったく感じないのですが、心が辛いのです。病院では通常三食きちんと病院食が出ます。周りの人たちは皆、食事が運ばれてくる。食事の時間なのに、匂いはするのに食べられない。これは経験した人ではないとわからない辛さ。看護師さんから「氷を持ってきましょうか?」と何度か声をかけていただいたのですが、たとえ何ccかでも水は水。それで回復が遅れてしまうのはいやなので、「結構です。大丈夫です」。
皆の食事時、静かに本を読んでいると、食器の音、食べる音、匂いなどが気になって仕方がない。気を紛らわそうとしてテレビを見ても、世になんと食べ物番組の多いことよ。旅館で夕食を美味しそうに食べている姿を見るのが不愉快、料理番組も×、食べ物、飲み物のCMを見るのですら辛い、悲しい。テレビを消して布団にもぐりこみ、匂いと音から少しでも遠ざかり、一日三回、やり過ごすのです。
この日は夕方から微熱と頭痛。氷枕使用。消灯9時。


3月23日(金)




浮腫みがひどく、手の指はもこもこに太くなり、膨らんだ顔はすっかり別人に。浮腫みのチェックというのは、アキレス腱の辺りをきゅっと摘まんでするのですね。不思議と足にはまったく浮腫みが出なかったので、看護婦さんに、「こんなに顔が浮腫んでしまって大丈夫なものでしょうか?」と訊ねても、元の私の顔を知らないので、足首を摘まんで、「うーん、浮腫みはないようですねー」と。しくしく。違うのよ、私はこんな顔じゃないの、と思うのですがしかたありません。
午前中、消化器内科の部長先生による、エコー(超音波検査)。部長先生の、「急性膵炎ね。はい、原因は何かな?」という質問に、(カルテに書いてあるのに意地悪ね)、と答えずに笑っていると、「わざわざ言わせるのか?って?わはは。相当飲むんでしょう。」と、入院してから他の先生とも何度も繰り返された会話が。病院内、どこへまいりましても、まるで大酒のみ扱い。
この日の昼食時、近くに断食仲間がいることを発見。近くの病室から、「何日間も患者に食事を出さないとは許しがたい。もっと患者を人間扱いしろ。院長に直訴する!」と、堪忍袋の緒が切れたとばかりに、大声でまくし立てる男性の声が。もしや、と思い耳をダンボにしておりますと、やはり同じ部屋にもう一人同じ病状の男性がいるらしく、二人で急性膵炎について話しているのが聞こえてくるではありませんか。「いやあ、私なんか、最初アミラーゼが1600もあって。これはかなり悪い数値ですよね」、「いや、そうでもないですよ。私は最初は2000でしたから。」「ほう!2000もありましたか、それはそれは」などという会話が。(わあ。話に参加して、「あらあ、私なんてアミラーゼ4000越えでしたのよ、ほほほ」、って自慢したいわあ)などと思ったものの、先方は男性の4人部屋ということもあり断念。
そうそう、病院というのは男性部屋、女性部屋、と分かれているのです。ちなみに今回入院したT病院では、上階にあるという特別室は別にいたしまして、通常の病棟には、個室、2人部屋、3人部屋、4人部屋が。差額ベッド代は、個室が1日48000円ほど。2人部屋は、窓側が14000円、廊下側が12000円。4人部屋は無料から2000円ぐらいまで色々。例えば個室に10日も入院いたしましたら、入院、治療費とは別に、差額ベッド代だけで48万。2人部屋でも14万。結構な額になりますので、皆さんたいてい4人部屋の希望を出しておくのですが、希望者が多くなかなか順番は回ってまいりません。それでも運よく空きがでましたらベッドごとお引越し。ベッドの上に荷物を全部載せると、看護師さんが二人がかりでベッドをごろごろ。新しい部屋にベッドが納まり、荷物を片付けて、引越し完了。私は12日間の入院中、10日は二人部屋、最後の2日は4人部屋で。


絶飲食3日めと回復の証し



食べられないことが更に辛く。テレビは頻繁に食べ物が映るので、見ることができず。うつらうつらすると食べ物の夢ばかり見るのです。目を閉じると思い浮かぶのは、色とりどりのケーキが並ぶショウウインドウや、お料理がずらり並ぶバイキングの光景。食べ物について書かれた文章を読むのすら非常に不快。トイレの帰りなどにちょうど食事が運ばれてまいりまして、ワゴンに並ぶ病院食を思わず足を止めて恨めしそうに見つめてしまう。いいないいな。羨ましい。悲しい。切ない。例の膵炎の男性も、「ここを出たら!大トロ、鮑、伊勢海老、食べまくりますよ!」などと叫んでおります。言っても詮無いことを、と口もとを綻ばせつつも、同じ状況に耐えている人が近くにいることがとても心強く。
さてこの日の夜9時を過ぎたあたりから、突然、噂の尿がざあざあが開始。いやあ、びっくりしました。尿の話などいたしまして申し訳ないのですが、もう出るわ出るわ。朝までほとんど眠らずに、例のややこしい手順を踏んでのトイレ、戻って横たわる。またトイレ、横たわる、またトイレ。なんとこの後、24時間で5リットルを超える尿が排出。なんでも、体内にしみ出てしまっていた水分が、炎症が治まったことにより、一気に血管に戻り、尿として排出されるのだとか。まさにざあざあ。5リットルもの量を出すのは一仕事。忙しくてゆっくり眠るどころではないのですが、これが「回復の大きなめやすとなります」、と聞いておりましたので嬉々として、いつでもどこでも一緒の点滴台をがらがらと連れてトイレへ。
翌日、3月24日の夜までにはうその様に浮腫みも取れ、体がすっかり軽く。


3月24日(土)、25日(日)絶飲食4日め、5日め


急激な体の水分の変化もあってか、終日頭痛。週末は特に大きな検査もなく、本を読んだりテレビを見たり。
食べ物に関しては、ノイローゼに近いほど気持ちが不安定になり、知人から食べ物に関するメールが届くだけでひどく落ち込んだり。同室のFさんともすっかり仲良しになり、二人で院内探索に出かけたりしていたのですが、話が食べ物のことに及ぶと、(ああ、食べられる人にはこの辛さはまったく理解してもらえないのよね、)と暗い気分に。
主治医のI先生からは、週明け26日にもう一度、血液、レントゲン、CTの検査をして、結果がよければ重湯から食事を再開してもいいと告げられる。重湯!!!嬉しい。早く、口にしたい。ここまで、入院から、一滴の水さえ口にしておりません。例えば山奥のお寺で、皆揃って断食、というのでしたらまた違うのでしょう。でも、気を紛らわすことのできない入院生活の中で、周りの人が皆食べているのに食べられないというのは、本当に本当に辛いこと。私などたった6日の断食でもこの耐え難さ。病によっては数ヶ月の絶飲食、という方もいらっしゃるとか。どれほど辛いか。もしも、ご家族やお知り合いが食事制限などになりましたら、どうか思い遣りのある接し方を心がけてあげてくださいませ。
さて、病棟にはお風呂もシャワーもあるのですが、まだ許可が出ず。体は熱いタオルで毎日拭いているのですが、髪が洗えないのが困ったことだわ。と思っておりましたら、看護師さんにシャンプーをしていただけることに。シャワールームにまいりまして、前かがみ、床屋さん方式での久々のシャンプー。すっきり爽快。
このことだけではなく、T病院の看護師さん達は、本当によくしてくださいました。皆さんお若くて器量よし揃い。真夜中に何度もの点滴の交換、採血や諸々の測定、検査への車椅子による送迎、などなど。どんなことでもいやな顔一つせずに、笑顔でてきぱき対応。入院患者が少しでも気持ちよく過ごせるように、最大限の努力をしてくださっているのが、こちらにも伝わってまいります。他の入院患者さんも皆「本当によくしてくれる」と口々に。感謝。