『噺家から学ぶ伝統芸能』



夜はミッドタウンのd-laboでセミナー。

落語は身振りと語りのみで物語を進めていく独特の演芸。江戸時代から大衆に親しまれ、近年でも幅広い年齢層の注目度は高い。落語を一席披露いただき、近年見直されている伝統芸能の歴史と現状についてお話しいただく。

とのことで、お話は古今亭志ん橋さん。「しんばし」、と読まれてしまうこともあるそうですが、「しんきょう」さんとお読みします。
子供の頃には落語や漫才を見に連れて行かれていたようなのですが記憶にはなく、物心ついてから落語を生で聞くのはこれが最初。高座は、ちゃんと台の上に緋毛氈、そして紫の座布団。背景の大型モニターに金屏風。
いやー、楽しかったです。今日は参加者の7割ほどが寄席に良く足を運ばれる方々だったようですが、まずは落語家についての解説から。最初は見習いとして通常3年ほど、師匠の家に住みこんで掃除、洗濯、料理、などの家事をこなしながら修行。ただ、今はほとんどが通いとのこと。次いでまた3年ほど前座。ここでやっと寄席で師匠の手伝い、着物を着せたり、片付けたり、お茶を淹れたり、ができるようになる。二つ目でやっとまあ一人前として認めてもらえ、そして真打。
師匠は弟子にしたら食べさせ、小遣いをやり、育てるが、落語の世界は見返りを求めない。昔に比べると色々なことが甘くなってきてはいるが、今でも厳しい上下関係はあり、師匠が黒と言ったら白も黒になる。弟子と食事をする時には必ず師匠の奢りなのだそうですが、例えば弟子20人ぐらいで蕎麦屋に入った時に、最初に「じゃあ私は天ざるにします」などと言うようじゃだめ。こういう時には「もり」にして、「天ざる」は自分の稼ぎで食べる。
などといった話から、座布団の前後ろの話。一カ所だけ縫い目のない輪になっている方が前で、お客様の座布団も同じように切れていない方を前にして向かい合わせになる。これには、切れ目がない、縁の切れ目がないように、という意味があるのだとか。
で、旅の話から、胡麻の蠅(スリ・泥棒)、駕籠かき・雲助についての予備知識を伺ったところで一席、『抜け雀』を。お見事。
休憩後は質疑応答。落語大好きな方達なので、質問は途切れることなく次々。出囃子について(前から一度聴いてみたいと思っておりました、「白鳥の湖」の出囃子を聴くことができました)、落語の世界でお行儀が悪いとはどういうことを言うのか、落語は聞き手のレベルがある程度高くないと成り立たない(言葉を理解する力、想像力)、ある落語家さんが亡くなる10日前に見舞い客に言ったという言葉が「かぼちゃの馬車で迎えに来ても、その時私はシンデレラ」、などなど、興味深いお話満載でございました。
志ん橋さんは「乙」に過ごしたいとのこと。乙に過ごすには、気取りや我慢が必要、というお話に、ダンディー=やせ我慢、という話を思い出しました。
男性には、乙、ダンディーであっていただきたいものです。