「死は人間にとって、いっさいの善いもののうちの最大のものかもしれない」、と言ったのはソクラテス。果たしてそうなのでしょうか。
このところ、死、について考えることが多く、いくつかの書籍を読み、納得いく考え方を求めていたのですが、一昨日読み終えました、E・キューブラー・ロスの『「死ぬ瞬間」と臨死体験』、の中に、このソクラテスの言葉に通じる記述があり、死は少しも恐れるものではない、と考えることができるように。
多くの死期が迫っている患者に接し、数万件にも及ぶ臨死体験の臨床例を集めた彼女がたどり着いた結論は、なによりも大切なのは愛、であるということ。
魂が肉体を離れるときには恐怖も不安もない。繭から蝶が飛び立つように、痛みも苦しみもなくなり、傷ひとつない、その人本来の一番美しい姿となる。そして、人により門、川、トンネルなどを通過し、信じられないほど美しく、眩い光と無条件の愛にすっぽりと包まれる。そして死ぬ時はひとりではなく、必ず、守護霊と、そして先に死んだ、愛していた人たちが優しく暖かく迎えてくれる。
彼女も書いているように、臨死体験は死ではなく、実際に死んでしまった人に「実際にはどうでした?」と訊ねることはできません。また、こういった話は、瀕死の人間の単なる願望である、ですとか、脳内物質の働きによるもの、との考え方もあるようですが、私は概ね死というのはこのようなものなのではないか、と考えたいと思います。
この本の中で、キューブラー・ロスが紹介している詩を二つご紹介を。

愛するときには、もっているものを全て愛にささげなさい。
限界まできたら、もっと捧げ、
そしてその痛みを忘れなさい。
なぜなら 死と向かい合ったとき、 
だいじなのは、あなたがあたえ、受け取った愛だけなのだ。
ほかのいっさいのもの-----
手柄、闘い、争いなどは、
思い出そうとしても、忘れてしまっているだろう。
じゅうぶんに愛したなら 
すべては報われる。
そのよろこびは最後の最後までつづくだろう。
でも、もしじゅうぶんに愛さなかったなら、
死はかならず早くやってくる。
その死は、直視できないほど恐ろしい姿をしている。
《リチャード・アレン》


美のなかを歩かせてください。
そして、赤と紫の夕陽を見させてください。
私の手に、あなたのつくったものを愛でさせてください。
あなたの声を、私の耳にとどかせてください。
あなたが、わが人びとに教えたことを理解できるよう、
私を賢くしてください。
あなたがすべての葉や岩のかげに隠した教えを
学ばせてください。
私は力を求めます。
でもそれは、きょうだいよりも強くなるためでなく、
いちばん手ごわい敵、自分自身と闘うためです。
いつも清潔な手と素直な目であなたのもとへ行けるよう
準備させてください。
消えていく夕日のように、
人生が消えていくとき、
私の霊が恥じることなく、あなたのもとへと向かえるように。
アメリカン・インデアンの詩》