恩師がテレビに



母が、「T学園卒業って言ってたから、emimiの先輩でわらべ歌を広めている人がいるのね」、と。その時は「ふーん。なんていう人?先輩だったら、知っている人かもしれない」、と返事をしましたが、名前はわからないとのこと。
その後、たまたまaquioさんの一番のお気に入りの場所でした、トアロード・MOKUBAの奥様の日記を拝見すると、『題名のない音楽会』に出演されて、“わらべ歌”を歌われ、しかも、一緒に出演をしたのが「茨城にお住まいの近藤信子先生」、と。えーーっ、もしや、あの近藤先生では。母に、「わらべ歌を聴いたって、もしかしたら『題名のない音楽会』?」、と訊ねますと、「そうよ」、と。やはり。
実は、近藤信子先生は、小学校の5年生から数年間、ピアノのレッスンをしていただいた恩師。それまで、近くの先生について、のんびりピアノのおけいこをしていたのですが、私の従妹がT学園付属の音楽教室に通っていたこともあり、「emimiちゃんも、もっと本格的に勉強をしては」、という話から紹介をしていただいたのが近藤先生でした。
「あなたは一本通っているから大丈夫。頑張って高校からTを狙いなさい。でも、皆、Tを目指してそれこそ早い子供は2歳から音楽教室に通っている。スタートがもの凄く遅いのだから、その分うんと頑張らなくちゃ!」、ということで、それはそれは厳しいレッスンが始まったのです。いわば、私の進む道を方向付けてくださったのが、近藤先生。
中学2年の時に、ご主人のお仕事の関係で近藤先生はアメリカへ行ってしまわれ、紹介をしていただいた別の先生に付き、なんとか間に合い、Tの高校へ入学。それ以来、十年ほど前に一度だけ電話をいただき話をしたきりで、これまで一度もお目にかかる機会はございませんでした。母もテレビを見ていても、近藤先生だとはまったく気づかなかったとのこと。
うわーん、放送を見ればよかったわあ、残念。
そう、こちらの日記をお読みいだだいている、aquioさんファンには、MOKUBAの奥様のこの日 の日記のコメント欄を是非お読みいただきたいと。
亡くなられてから、実は一度だけ、2月16日にaquioさんが夢に出てきました。その時に私が、「aquioさん、ドレスデンにも行かれました?佐渡さんがドレスデンでaquioさんのために振ってくださったそうですね、すごいですね、よかったですね」、と話しかけると、感極まったように涙を流されていたのです。
aquioさんは、指揮者の佐渡裕さんとも親しく、私が佐渡さんのファンだと話しますと、色紙にサインをもらって送ってくださったことがありました。ちょうど3年前の3月の日付のその色紙は、今も大切に手元に残っております。