お別れ




有馬の念仏寺で執り行なわれました、id:aquioさんの葬儀、告別式に参列。お別れ、をしてまいりました。
これは悪い夢なのではないかしら、目が覚めたら夢であったことにほっとするのではないかしら、とずっと思っておりましたが…、現実でした。悲しかったです。辛かったです。近しい関係者にしか連絡をしなかったとのことですが、それでも式場には入りきれないほどたくさんの参列者が。
祭壇にはシュヴィップボーゲン、オートマタなどの美しいaquioさんの作品の他、ザイフェンの天使と鉱夫の人形、くるみ割り人形ネフ社の積み木、などが飾られ、遺影のaquioさんは、あの暖かい笑顔。
フォーレのシシリエンヌが静かに流れる会場では、大切な人を、大きな人を失ってしまった悲しみに、そこここからすすり泣きが。
1月20日、精密検査の結果が出た翌日、お電話をいただき、「薬を使わなくて1年だと言われた。自分にとって今一番大切なことは1日でも長く生きること。薬を飲んで病と闘っていきます。自分でも驚くほど冷静。大丈夫ですよ。」とおっしゃっていたのに。お薬を飲み始めてからたった二週間。いったいどうしたことでしょう。
ご長男からは、「こんなにも多くの方にお集まりいただき、父も喜んでいると思います。あまりに突然のことでした。父は、本当に大切な家族でした。皆様も父の友人であったことを誇りに思っていただきたい。多くのものを置き去りにしていかなくてはいけない父は、さぞや無念であったろうと思います。皆様は、体を大切にされて、どうか長生きしてください」、とのご挨拶がありました。
二度目の入院をされ、食事がまったくできなくなっても、少しでも病を小さくしたいと、お薬だけは飲まれていたとか。生きたい、と懸命に頑張っていらっしゃったのだわ、と胸が苦しく。
ふと思い出したのが、aquioさんが以前に書かれていた日記。

昨日は新潟にいた。
今日は東京。
少しも休ませてはいただけない。
鮫は泳ぎを止めると窒息してしまうという。
死ぬまで泳ぎを止めるワケにはいかないらしいが、
ひょっとしたら、
私も鮫に似た体質なのかもしれない・・・。

有馬、岡山、東京、新潟、ミュンヘン、ザイフェン、ニュールンベルク、ザルツブルクプラハ、と常に動き回っていたaquioさん。やはり、鮫に似た体質でいらっしゃったのかしらと。
棺の蓋を開けての最後のお別れでは、お好きだった白い百合を手向けました。12月に打ち合わせのため東京でお目にかかった時には、痩せてしまわれ、とてもお辛そうで、表情も普段よりもやや険しく、あまりに顔色が悪かったので、「食欲もないそうですし、お医者様が嫌いでも、ぜひ一度血液検査を受けてください」、と申し上げたほど。でしたので、お顔を拝見するのが正直少し怖かったのですが、驚くほど穏やかで、元気ないつものaquioさんがまるで眠っているかのようなとても安らかな表情でした。
そして、最後は御位牌を抱いた奥様、遺影を抱いた息子さん達と共に、ご自慢の愛車、ぴかぴかに手入れをされた真っ赤なフォード・マスタング・ファストバック1966年型で走り去っていくという、本当に最後の最後までaquioさんらしい格好良さでした。

これまでお付き合いさせていただいてきた中で、aquioさんの生き方からも、作品からも、彼独自の『哲学』というものが常に強く感じられました。物づくりを目指される若者たちに対しても、基本の大切さと共に、そこには必ず哲学が必要、いかに技術やセンスが優れていようが、哲学、思想のない作品には何の意味もない、と説いていらっしゃいました。aquioさんの哲学、に周囲の皆は魅了され、信頼を寄せていたのだと思います。
以前aquioさんからいただいたメールの一部、

そう、人生は受け止め方ひとつでどのようにも変化しますね。
済んでしまったことは取り返しがつきません。
済んでしまったことをいつまでも考え続けるのは不健康です。
そう思います。
人間は前を向いていくしかないのだと、強く思います。

私にとりましても、aquioさんはとても大きな存在で、思い出もあまりに多く、大きな喪失感に、今は押し潰されてしまいそうです。まだまだ当分は立ち直れそうにありませんが、この言葉を思い出し、なんとか乗り越えたいと思います。
これからaquioさんは、きっと赤いマスタングを駆り、天国に向かわれるのでしょう。天国の皆さんも、「なんだなんだ、ずいぶん格好つけた奴がやってきたじゃないか」、とびっくりされるでしょうね。そして車を降りたaquioさんは、あのいつもの笑顔で、「始めまして、西田と申します。宜しくお願いします」、などとご挨拶をしつつ、素早く綺麗な女性にチェックを入れるのではないでしょうか。
aquioさん。お別れの式に出て、きちんとお見送りをすることができて、本当に良かったです。でも、永遠のさようなら、という気が少しもいたしません。いつでも、「私にできることがあればなんでもしますよ」、とおっしゃってくださっていましたよね。
これからもずっと、天国から、皆を見守っていてください。