竹田人形



長野県、飯田市が何故「人形」と関わりが深いのか、を詳しく教えていただきましたのでご紹介を。

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江戸時代の初めころ、
「竹田近江」という人物が大坂(今の大阪)の道頓堀で、
糸操りの人形とからくり人形の興行を始めます。
その人形座の名前は「竹田人形座」。
その竹田人形座の流れをひく糸操り人形の名手であった
「結城孫太郎」が「竹田三之助」と改名して、
竹田人形座を東京に開きます。
その三之助の芸養子であったのが「竹田扇之助」と「竹田喜之助」の二人。
喜之助の本名は「岡村隆郎」。
岡山県の邑久(おく)町の出身です。
喜之助は昭和25年から昭和54年までの間に、
実に2600体もの人形を制作しました。
喜之助の作った人形は一般に「喜之助人形」と呼ばれ、
世界的にも高い評価を得ています。
故郷の邑久町では現在でも年に一度「喜之助フェスティバル」が開かれ、
日本全国から多くの人形劇ファンが訪れています。
残念ながら、喜之助は昭和54年に鬼籍に入ってしまいますが、
その兄弟弟子であった扇之助が、
故郷の隣町(飯田市)に喜之助人形を収蔵した博物館を開館します。
それが、飯田市が「人形の町」と言われるようになった由縁です。
もっとも、飯田市は江戸時代の半ばころから浄瑠璃の盛んな町でもありましたが・・・。
ちなみに、
歌舞伎や浄瑠璃で有名な「義経千本桜」や「仮名手本忠臣蔵」を著わした「竹田出雲」は、
初代「近江」の子孫にあたります。
昔、NHKで「ひょっこりひょうたん島」という人形劇が放映されていましたが、
その番組が終了した後に放映されていた「小松左京」原作による
「空中都市008」を制作したのが「竹田人形座」です。

飯田に行かれたら、
是非「竹田扇之助人形博物館」を訪れてみてください。
きっと、覚えのある人形に出会えると思いますよ。

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はい、ぜひぜひ訪れてみたいと思います。サイトを見ましたところ「空中都市008」だけではなく「宇宙船シリカ」や「銀河少年隊」の人形達、そして「アジアの糸操り人形展」も同時開催中との事。楽しみです。

人形だけではなく人形劇の上演も観てみたいと調べてみましたが、残念ながら私が訪れます来週末には公演は何も予定されていないようです。飯田には「竹田人形」の他にも、人形座があるようですが、「黒田人形」は毎年4月諏訪神社の春祭りに、「今田人形」は大宮八幡宮の秋祭りに奉納上演、または世界中から人形劇団が集まる「いいだ人形劇フェスタ」は夏、と時期が限られているようです。こちらはまたいつの日か機会がございましたら。