ライター



非喫煙者ではあるのですが、いつもライターを持ち歩いておりまして、何かで必要な時にバッグから出しますものですから、何故、と驚かれることもしばしば。「これは睫毛を上げる為に」、とその理由を伝えますと更に驚かれることも。娘から教えてもらった方法なのですが、ビューラーで軽くライターで温めましてから睫を挟みますと、短時間でくっきり上がるのです。温め加減を誤ると、瞼があちち、となりまして大変なのですけどね。
ライターといえば、思い出しますのが、たけのこ山に消えた母のカルティエのライター。銀座で勤めておりました母は、なんでも同僚の男性のバイクの後ろに乗っておりまして4丁目の交差点で転んだことがある、というなかなかやんちゃな女性だったよう。若い頃から長く煙草も吸っておりまして、確か止めたのは今から7、8年ほど前のこと、3人目の孫ができたのを機に、だったと。
私が小学生の頃、春になりますとよく、家族でたけのこ掘りに出かけたものでした。その日もかなりの収穫があり、喜んで帰宅。早速米糠で採れたてのたけのこをゆで始めた母の顔色が突然すっと変わり、硬直。何かあったのかしら、と子供心にドキドキしておりましたところ、「ない、ライターがないわ」、と。シャツのポケットに入れて出かけた、カルティエのライターがないというのです。山では山火事になってはいけない、と1本も吸わなかったものの、ポケットにライターが入っているのは途中で確かめたとのこと。もしや、と家中を探しましたがやはり見つからず。母が大切にしておりましたライター。今でこそ手に入れようと思えば容易に入手できるものですが、当時はまだなかなか手に入りにくい、とても高価な品だったかと。気力を振り絞って作った若竹煮を、ため息をつきながら食べていた母。それ以降我が家では、たけのこ狩りに行こう、という話は一度も出たことがありません。